文化的遺伝子と僕

人生で出会った文化的遺伝子(ミーム)について、思ったことを書いていきます。

たわいもない話

たわいもない話なのですが、小説を書き始めてから、意識的に小説を避けるようになりました。別にプロでもないのに。なんだかませたことをしているみたいですね。

 

理由の一つは、読んだ作品に影響されてしまうということです。

 

今の僕は自分の軸を形成するので精一杯なので(なにせ20歳!)、読んだ作品を片っ端から吸収していきます。吸収したものがいいか悪いかは後で判断すればいいから、本当になんでも面白い! 真似しよう! と思ってしまいがちなんです。

 

それがマンガや映画、ゲームのプログラミング、DTMならまだしも……小説ですからね。文法、言葉遣い、話し方、キャラのつくりかた、パラグラフのおきかた、形容詞副詞のつかいかたなんて、すぐに真似できます。なんせ文字の並びの問題ですから。

 

また、小説ではストーリーなんかも真似しやすいです。とくに推理小説なんかは。伏線の張り方が命なので、当然そこには作法ができあがります。あるいはSFや時代、学園ものなんかと混ぜて全く新しいサスペンスを作り上げるとか。とにかく、何かの「謎」というものは真似しやすいです。

 

そして真似しやすいもの(つまり色モノということですが)は往々にしてすぐに廃れてしまいます。つまり大衆によってすぐに消費されてしまいます。変化が激しい分、その消耗も激しいのです。

 

だから、今では意識的に小説を読むのは避けています。読むのは気に入っている日本人作家と海外作家だけ。昔は日本人作家しか読んでいませんでしたが、それでは流されてしまうと思い、今は書棚のほとんどは海外作家です。海外作家の文章はなんといってもパワフルなので(特にSF)、いい意味で鍛えられます。あとは同じ小説を何度も読んで、書き方のリズムを覚えます。

 

イデア醸造はもっぱらポピュラーサイエンスと科学雑誌です。また行動経済学や考古学、人類学、哲学、宗教学、民俗学なんかも好きです。つまりほとんど学問的知識から入ります。でないと確かなものが考えられないのです。

 

キャラの性格、セリフ回し、動作、ストーリーの流れはもっぱら映画を参考にしています。たまーにアニメもみます(特に今監督)。

 

ここまで来ると分かるように、僕の物書きは多段式でした。つまり、学問によって世界の土台をつくり、その上に映画的な登場人物を踊らせる。そして劇性をだす。

 

こんな感じですね。いやほんとたわいもない話だ。