文化的遺伝子と僕

人生で出会った文化的遺伝子(ミーム)について、思ったことを書いていきます。

【首】

 気が付いたら一ヶ月が経っていた。

 

公開してすぐに見に行ったはずなのに、そして最速でブログに書こうと思っていたのに、パンフレット買ったのに、それだけ楽しみにしていたのに。

 

いつのまにか、一ヶ月が過ぎていた。

 

僕たちの人生は、結局のところ、そのようにして忙しなく進んでいく。

 

そう、人生はあっという間だ。今があっという間なのだから、戦国の世はどれだけあっという間だったことだろうか。

 

北野武監督作品は、そんな人間の人生の「あっけなさ」を描いていく。

 

この人は、本当に、生というものに執着がない(自伝にも書いてあったけど)。むしろ作家として、生に執着する人間に執着がある。それはきっとある意味作家には必要な審美眼なのかもしれないなと思った。

 

人間ってこんなもの、みーんな阿呆か、そういう完全に人間として生きることを突き放した考え方を持っているのは、本当に凄いと思う。

 

なにより、その格好良さにシビれる憧れるぅぅな人たちがたっくさんいるからこそ、これだけ有名なんだと思う。

 

実は今作の公開前に、ソナチネ、HANA-BIの二作品を拝見していた。

 

ソナチネは生死を横断する軽快さ、海の青さがよかった。生命のあっけなさが逆説的に尊さを光らせていた。

 

HANA-BIは生死を芸術的に捉えた作品だった。バイク事故後ということもあり、いっそう自殺というものを劇化していた。バラバラの時系列、セリフの少なさ、言葉よりも絵、そういう映画、いや、動く絵画だった。

 

アウトレイジ時代をすっ飛ばして、本作「首」。

 

始終、ゾクゾクしていた。たぶんどこかの観客の携帯の着信音がずっと鳴り止まなくて、「うるさいんですけどッ」という怒号が暗闇から吐かれたあたりから、映画館内の雰囲気が異様なものになっていた。

 

なんだか、今にも争いが起こりそうな予感がした。画面いっぱいの血、死体、ギャグ、首、首、首、合戦。

 

いやはや乱世乱世。見終わった後、ずっとそう思った。

 

黒澤明「乱」を見終わった後もそうだった。今も昔も、乱世っちゃあ乱世だ。

 

若者もおじさんも、おじいさんもおばあさんも、みんなが映画館に足を運んで来たの映画を見に来ているという事実から、やはり乱世だなと感じるのは、僕だけじゃないはず。

 

異常、間違えた、以上。